思考することの深さ-すべてがFになる
記念すべき、1記事目は敬愛する森博嗣の処女作について書きたいと思います。
すべてがFになる
森博嗣の記念すべき一作目であり、1996年の第一回メフィスト賞を受賞した作品です。
私が読書というものにどっぷりつかり始めるキッカケはこの一冊でした。
小説、ことミステリィがお好きな方はご存知かとは思いますが、森博嗣の小説は理系ミステリと呼ばれています。舞台や登場人物の行動や思考、そして書いている森博嗣自身が理系出身のためそう呼ばれていまして、理系っぽい理化学な知識を求めてもそれほどありません。
ただ読んでみると「確かに理系だ」と思わせる。(文体や文章校正による雰囲気などで)
本書は、2014年秋にドラマ化されたこともあり、森博嗣作品の中ではとりわけ有名かと思います。ただ、ドラマは本書のみならずS&Mシリーズ(後ほど解説します)の10作品を実写化したものでした。そのため、ドラマを観た方は味付けとして読んでみるのも楽しいのではないかと思います。
森博嗣作品は総じて難解というか、捉え難い文章が続きます。それは、理系ならではの文体からくるものなのか、森博嗣自身の性格によるものなのかは定かではありませんが、この捉え難さこそ森博嗣作品の魅力になっています。
さて、それではようやく作品の紹介に入らせていただきます。
『すべてがFになる』のあらすじは下記の通り。
「孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディングドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた・偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。」
あらすじだけを読むとなにやら猟奇的な印象を受けるかもしれませんね。しかし、読み進めていくと凄惨な事件を彩るトリックやキャラクタたちによってその印象はかき消されてしまいます。
密室で起こった殺人事件、ここだけを聞くとそこらじゅうに氾濫しているミステリィ小説と相違はありません。けれど、いつもミステリィ小説を読んでいる人こそこの作品の深みに嵌るのではないかと思います。
これまで蓄積していった推理力がむしろ足枷となり得るトリックであり、「こんなトリックアリなのか…?」と思うこと間違いなしです。 その全貌は是非読んで確かめてみてください。
しかし、本書の真の魅力はキャラクタにあります。
国立N大学工学部建築学科に在籍。優れた洞察力と観察力、記憶力を持ち、驚異的な計算能力を有しており、時に思考が極端に飛躍するという特徴ある性格を持っています。俗にいう”天才”であり、本作の主人公の一人です。ドラマでは武井咲が演じていました。
この女性、ただ天才のみならず周囲の目を引くほどの美女という性質も持ち合わせておりまして、才色兼備が服を着て歩いているようなそんなキャタクタです。
行動力も旺盛で、感情を前面に強く押し出し、事件解決に臨む姿勢があります。ただの学生が何故事件解決に向け奔走しているのか、この点もキャラクタとしてのポイントになりますので、ここでの言及は避けておきます。
服装も奇抜、乗る車はツーシータ(色も派手)、お金持ちの家の令嬢、5ケタの掛け算も一瞬、と設定だけでおなか一杯になりそうですが、これが意外と読んでみるとすんなり入ってきます。
犀川創平
国立N大学建築学科の助教授。萌絵の父であり那古野大学の元総長、西之園恭介の愛弟子。本作のもう一人の主人公です。
この主人公二人の名前の頭文字からS&Mシリーズという呼び名がついています。
物事に対する興味の度合いが両極端で、必要がなく、興味のないことには一切関わろうとせず、テレビなどは極力見ません。
萌絵に引っ張りまわされて事件捜査に巻き込まれるうちに、警察からその分析・考察力を頼られることになるのですが、本人が乗り気になることはまずありません。真相に気がつけるだけの情報を得ていても、そのまま放置していることさえあります。
ですが、興味のある分野にはその力を遺憾なく発揮し、研究分野において学界のホープとも呼ばれています。非常に優秀であり天才と呼ばれ、その歳でとれる賞は全て獲っているのですが、他大学からの引き抜きや教授への昇進の話もあるが、研究などが出来なくなると言い断っています。
そうです、もう一人の主人公も”天才”なんです。
この二人の天才が事件を解決に導くために奔走する、そういった物語になっています。
(正しくは萌絵が奔走し、犀川が振り回されるという構図になっていますが、、)
この2人の名前から、S(犀川)&M(萌絵)というシリーズ名になっています。
そしてもう一人。
天才をして天才と言わしめる真の天才。森博嗣作品を語る上で最重要人物、それが真賀田四季です。ドラマではあかりんこと早見あかりが演じていましたね。
「人類のうちで最も神に近い」と言われる天才プログラマーです。
森博嗣の作品には天才しか出てこない
というわけではないですが、比率は大きいです(笑)
ですが、この真賀田四季が頂点の存在であります。本作以外でもほぼすべての作品に彼女の影がチラついてきます。嫌なストーカーみたいな表現になっていますが、もし気になれば他の作品も読んでみてください。
真賀田四季は情報工学、特に仮想現実や人工知能の領域で研究実績があり、どのような分野でも有益な意見を出せるほどの知能を有しています。
自身の体験をまったく劣化させずに記憶に留めておくことができます。
度々出てくる会話シーンを読んでいても思考の飛躍具合が凄まじくついていけない部分も多いです。
さて、気づいた方も多いと思います。
あらすじにはこう書かれています。
「完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディングドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた」
何故、死体となったはずの彼女が今後も森博嗣作品に現れ続けるのか。
是非、読んで確かめてみてください。
きっと、いつの間にか続編を読んでいることでしょう。
最後に一点、興味深い点があります。それは、森博嗣自身が天才なのではないか、ということです。
本書は1996年に出版されました。その頃はまだパソコンも大きく今と比べるとアナログな時代でした。(子供の頃の記憶のみですが)
ですが、キャラクタの発言から伺うに、当時から既にツイッターなどのSNSやマイナンバー制度などを予言していました。
この事実に気づいた際、鳥肌が立ったことを覚えています。
森博嗣作品はこの感覚が病み付きになる。
それでは、天才たちの瀟洒な会話を楽しんでください。